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既刊、近刊
ゲスト「台湾ノスタルジア 百年老街めぐり」
産業編集センター 4月「図解 台湾の歴史建築」
李乾朗、他 4月 マール社風水なども、記載があるらしい。
近刊
ゲスト「東京神社さんぽ大全」
戸部民夫 5月 エクスナレッジ「神社神道 こころに響く講話集」
中澤伸弘 5月 戎光祥出版近刊
ゲスト「大和の心で未来を占う 和のルノルマンカード」
LUA 松尾たいこ 6月 河出書房新社雑談
ゲスト怪フェスに来た人たちの話
怪フェスに来た人が内藤文穏氏の機関誌を思い出したのは、書店で「秋田~環日本海文明への扉・伊藤俊治」という本を見て、秋田の古い歴史や風俗について、内藤氏が書いていた内容が記憶によみがえったからとのこと。
内藤氏は自身の方位術の検証のため、剣道の馬庭念流の里という土地に住むところを求めたらしいが、そのためには確認しておきたいことが、いくつかあったらしいとのこと。秋田にもそのひとつが、あったのかもしれないとのこと。
秋田といえば、長井金風氏という人を連想するとのこと。神道天行居の友清歓真氏は、九鬼氏断易と長井金風氏の周易を高く評価していたらしいとのこと。
長井金風氏は江戸末期~大正時代の人だが、秋田の地元地方新聞の編集者だった人で、その地方新聞は今も秋田を代表する新聞らしいが、江戸時代の菅江真澄が秋田を旅した記録など、いろいろなものに触れる機会があったらしいとのこと。内藤氏は方位術については教えなかったが、自身の命理術については昭和末期~平成時代初期までは教えていたらしく、もしかすれば何かを聞いた人がいるかもしれないとのこと。
四国地方のお遍路の歴史ではないが、秋田の歴史や風俗・風習にも残っていたものがあったかもしれないとのこと。「忘れられた日本史の現場を歩く・八木澤高明」という本があるそうだが、その中のいくつかの記事も連想したとのこと。
近刊
ゲスト「大地と人の物語 地質学でよみとく日本の伝承」
日本地質学会 6月 創元社近刊
ゲスト「宇宙の大道 大霊覚者「川面凡児」の禊ぎ祓いと太古神道のよみがえり」
宮﨑貞行 ヒカルランド 5月雑談
ゲスト怪フェスに来た人たちの話
もう亡くなられた作家で、占い関係の本もあった東北出身の人のエッセイによれば、戦前までは「まれびと」のような占いや祈祷の人たちが、北東北といわれる地域にはいたとのこと。
修験道の人たちだったかもしれないが、訪れると家のまわりを歩いて家の形を見たり、周囲の地形を見たりしながら、注意することや病人が出たら特定の日に、ある方位の神社などへの祈願を指導したり、暦や生まれ年など占いにもくわしかったらしいとのこと。
日本のほかの地域にも、そんな民間の法師陰陽師のような人たちがいたはずなのに、道満法師の故郷と言われた関西の一部の地域や、四国のいざなぎ流の土地、そして東北地方など、限られた地域にしか見つからないらしいのが不思議とのこと。
陰陽道の歴史研究は盛んだが、占いの技法は江戸時代などの古文書や出版物などに残ったでないと、見つけにくいかもしれないとのこと。
雑談
ゲスト17872訂正
占いの技法は江戸時代などの古文書や出版物などに残ったでないと、見つけにくいかもしれないとのこと。
占いの技法・技術は江戸時代などの、古文書や出版物などに残っていないと、見つけにくいかもしれないとのこと。
雑談
ゲスト怪フェスに来た人たちの話
明治の新政府が、陰陽道を禁止して土御門家がなくなると、その鑑札を受けて支配下にあった民間の陰陽師の人たちは、放置されていた神社などに住み込み神主のようになったり、古神道などの既成の宗教団体に入り込む、あるいは拝み屋のようになるなど、さまざまだったらしいとのこと。
内藤文穏氏が探して確認しようとしていたものが、そんな陰陽師の人たちが残したものなのか、中国大陸の渤海国から伝わったとされたものなのか、それとも坂上田村麻呂が東夷征伐を行ったとされた時の、坂上田村麻呂のもちいた古代兵法だったのか、わからないままに終わったらしいとのこと。
坂上田村麻呂だとすれば、その派遣された軍隊の兵士たちが、軍陣をしいたという伝承が残る「将軍野」という地名の場所が、今でも秋田には残っているらしいとのこと。
いろいろな謎を内藤文穏氏は残したが、「元空占術」として書籍化されたものを、大石真行氏が解明して講座を行われたとのことで、すごいものだと話題だったとのこと。
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