九星術の女子学生の父親の人、一度だけ台湾旅行をしており、ガイドの人に奇門遁甲の占いを依頼したとのこと。
昭和のころの、九星術は奇門遁甲の一部という話を知っていたので、台湾で奇門遁甲を見てみたかったとのこと。
廟という台湾式のお寺に案内され、楽しく暮らしながら、お金もあって長生きできるという神様だったとのこと。
そこは、日本で「お筆先」と言われる「扶乩」をする場所で、独特の雰囲気や、まわりの人たちに驚いたとのこと。
少し離れた建物で奇門遁甲の人に会ったが、「御定奇門寶鑑」という本があって、紫微斗数の占いと、奇門遁甲の除霊のようなことや、出かける時のまじない方法、交渉時のすわる席の話など、面白かったとのこと。
文化の違いだと思うが、ドライな、にぎやかな、アッケラカンとした感じで、占いと宗教が近いように思ったとのこと。
日本の占いと宗教の雰囲気と、随分違うと思ったとのこと。日本のものには、陰りのようなものを感じるとのこと。
かなり前に、知り合いの人から借りた、九星術の霊的な本を読んだことがあり「はて、さて・・」と思ったことがあったとのこと。
日本で九星術を広めた人の弟子で、一時期は師匠以上の評判だった人なのに、その人が晩年どうだったのか誰も知らないという話も、聞いたことがあるとのこと。太平洋戦争の時期だったせいかもしれないがとのこと。
占いと信仰といえば、檀家総代だった実家の父が、お寺の行事などを、こまめに手伝っていた姿を思い出すのと一緒に、住職の人がしていた九星術が、組み合わさった雰囲気になってしまうとのこと。