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新刊ゲスト
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編集・出版 地球の歩き方編集室 3月発行予定新刊ゲスト「呪術講座 入門編」 KADOKAWA
著者 加門七海 3月発行予定新刊ゲスト「もっと!誕生日が教えてくれる本当のあなた」 世界文化社
著者 ともこ 3月発行予定新刊ゲスト「3日で人生が劇的に好転する文字の書き方」 さくら舎
著者 林香都恵 3月発行予定占い好きゲスト古典・伝統占星術の人が聞いた、見上さんという人に若いころいろいろ
聞いた(習った?)おじいさんの話ですが、推測みたいな部分もあるよ
うで・・・(以下、敬称など省略)袁樹珊 明治14年 ~ 昭和43年
徐楽吾 明治19年 ~ 昭和24年
阿部泰山 明治21年 ~ 昭和44年
高木乗 明治12年 ~ 昭和40年
韋千里 明治44年 ~ 昭和63年有名な人たちですが、4人は同じ時期を生きた感じがするそうです。
阿部泰山は大正時代、20代半ばで四柱推命の本を出したそうですが、
30才のころ初めて上海に資料探しと現地調査に行き、その後何度か渡
航をしたそうです。
そのころ上海はわい雑、混沌とした感じで、大正10年に芥川龍之介が
書いた「上海遊記」を読めばよくわかるそうですが、占いもさまざまな
ものがあったそうです。阿部泰山は漢文にくわしく「金瓶梅」や「紅楼
夢」などの物語も知っていて、その中で占い師の人が宣伝文句で「自分
は10以上の流派に通じた優れた術者」みたいに言ったシーンを思いだ
し、「いろいろあるものだ」みたいに思ったらしいそうです。実際に占ってもらい、いろいろな話を聞くうちに、職業占い師の人たち
には、生日と季節の組み合わせで占う人たち、通変星と神殺のセットに
意味を持たせ占う人たちなどが、多いように感じたらしいそうです
上海など中国には、占い趣味のような人たちが多く、そんな人たちには
欽定書だった「三命通会」という本を話す人もいて、たくさんの格局を
使う人や、生日と生時の組み合わせを言う人、出所がよく分からない複
雑な方法の人などさまざまだったらしいそうです。
でも、そのころの占いの本は、手書き筆写の本が多く、流通も少なくて、
とても苦労したらしいそうです。そんな上海渡航を繰り返していたころ、袁樹珊の書いた「命理探源」の
初版が出版され話題になったそうです。袁樹珊という人は漢方の先生を
していたそうですが、いろいろな占いにくわしく、特に四柱推命と六壬
神課がメインだったそうで、阿部泰山もその影響を受けて、四柱推命と
六壬神課がメインになったかもしれないそうです。占い好きゲストそのころの本として「滴天髄」「命理約言」「子平真詮」などという本
もあったそうですが、手書き筆写本が流通した時代で、任鐵焦という人
の解説した「滴天髄」を、袁樹珊が書籍化したのは、昭和8~9年ころ
になるそうです。
その後になって、徐楽吾が「滴天髄」「窮通宝鑑」「子平真詮」などの
本を、自分の解説付きで書籍化したそうですが、「命理約言」の書籍化
は、さらに後で韋千里によるものだったそうです。
そのころは昭和6年に満州事変があり、上海事変は昭和12年と、時代
の変化があり阿部泰山も渡航をすることはなく、ツテを求めての本の購
入だったらしいそうです。いろいろ名前が出て来た本は、今の日本では専門古書店でないと在庫が
ほとんどなくて、現役の新刊がある「三命通会」は「淵海子平」などの
古い時代の本からの文章を集めた部分と、生日と生時を組み合わせた方
法からなどの部分があるそうです。
この生日と生時を組み合わせた方法は、高木乗という人の流派では最も
重要とされた時もあったそうですが、同じ部分が阿部泰山全集にも2冊
に分かれて、掲載されているそうです。生日、生月、生時の組み合わせ
の本で、韋千里の「八字提要」の和訳の本もあったそうですが・・・古典・伝統占星術の人の感想だそうですが、阿部泰山という人は上海の
占い事情を見てから「占いにはさまざまな方法がある。それぞれの術者
が自分の判断、取捨選択で考えるべき」と考えていたフシがあるように
思うそうです。「そのために自分が調べて集めたものを、阿部泰山全集
として残しておく」と言っている感じがするそうです。
そんな感じに思った、いくつかのエピソードがあったそうですが、誰が
話したものなのか不明らしく・・・?阿部泰山は弟子の人が、「全集のA書とB書では違う」みたいなことを言
うと「いろいろあるから、自分で考えろ」と怒ったらしいそうです。
阿部泰山は一日の区切りが、23時と24時の2つの方法になったのは、
上海の西洋人の影響からかもしれないと、話したらしいそうです。
阿部泰山は大運を、それ以前の日本の計算方法から、10年ごとの計算
に変更した時に、前の本の方法は間違いと認めたらしいそうです。
阿部泰山は自分の鑑定方法を説明せず、ある高弟の人は病気の泰山の鑑
定代行をするようになって、ようやくその方法を知ったらしいそうです。 -
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