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中国呪術ゲスト
新聞記事に中国共産党指導部が、誕生日を公開しない理由の
一つに、呪いを嫌うためとしていた。生辰八字と写真で呪うことが可能で、江沢民の頃に複数の幹
部が、同じ時期に病気になってからのことらしい。共産主義、合理的なマルクス思想は、消えたようです。
四柱推命・新刊ゲスト新刊案内で見ました。
佑木美月著 「四柱推命で掴む成功戦略」
陳大一著 「四柱推命・プロの新方程式」
佑木美月さんは、陽史明さんのお弟子さんの方のようです。
陳大一さんは、はじめてお名前を知りましたが、プロの方でしょうか?同姓同名ゲスト吉田茂が総理を辞めたころ、同姓同名を捜した記事の雑誌があった。
その中には乞食生活の人もいて、しばらくの間、話題をさそった。「中村文聡」さんという、造園会社を退職した人がいる。
ひと昔前の、高名な占い師と同姓同名である。もっとも占い師の「文聡」
さんは、占い営業用の名前で、本名は別にあったと思う。「聡」の漢字も、表札は「聰」の正字で書かれている。読みは「ふみあき」
である。占い師の人も戦前の生まれなので、もともとは旧字、正字の「聰」
を使っていたと思う。町内会の役員として、地域にある三ヶ所の公園の緑化を、地区の役所から
委託され、同好の人たちを集めて、季節の花を育てるのに忙しい。全区清掃作業などで話しをするが、兄弟姉妹が七人で、男の兄弟には「聰」
が全員あるという。
父親が「聰作」という名前で、その一字を使ったらしい。兄が「元聰」、読
みは「もとあき」で、弟は「公聰」、読みは「きみあき」である。姓名判断の本を少し読んだ者としては、兄弟の人たちの人生模様などを聞い
てみたいのだが、そこまで図々しくはない。発音や漢字は異なるが、姓名判断の画数的には、兄弟三人が同じ。
生年月日は当然違うが、父親の「聰作」という人は、姓名判断を知っていた
ものかどうか、妙になやましい名前である。占いはアートゲスト占いを「アート」と言い切ったサイトは、ここだけでしょう。
以前の方では、錢天牛先生と、北斗柄先生だけですね。
卓見であり、人のなす行為として捉える、そんな意味があると思
います。「風水論集」という、学者の方々の論文集を読んでいたら、風水
は社会人類学や、民俗学の研究対象だが、研究対象は人間であり
風水は疑似科学としていました。疑似科学とは、科学信仰が生んだ、近代的迷信と定義されるそう
です。文化ではあっても・・・・・・・・、という所でしょうか。社会人類学や民俗学は、宗教学などとは異なり、フィールドワー
クで、実際の人間の営みを見つめる研究のようです。占いも、人間の営みを見つめる行為だと思われます。
答えようのない、たとえ話も書いていました。民俗学とは興味深
いものですね。幽霊や心霊も、妖怪なの?
いいえ、ちがいます。
でも、どっちも「お化け」でしょ。
妖怪は、零落した古い神さまです。
じゃあ、子泣き爺い、砂かけハバァも、神様だったの?鈴木ゲストこんにちは、皆様。
静岡から参加の鈴木です。
1668番へ。
生辰八字も表面上禁止でしょうが、共産党に所属しつつ、奇門遁甲の達人もいて、その人達も本を出せます。
これは、白鶴易人老師の08年の著書より明らかです。
情勢は刻々と変わりますが、姓名学+生肖派とか検索すれば、中国の簡体字のものは出ます。
文化大革命も二律背反的性格を持っているのは、姓名学や、八字の話が残っていることから明らかです。
皮肉にも、日本でも、という一文が付きますが。鈴木ゲスト引き続き、静岡から参加の鈴木です。
1762番へ。
同姓同名の話ですが、私も複数の経験がありますよ。
過去、山本健一という名前の男性が3名いらっしゃったことを確認しております。
画数に関する話で少し補足すれば、日本だけでしょうね。
画数計算の統一が出来ず、しかもそれで流派が出来る。
そういう意味では、姓名学は、流派以前の段階の問題も、問題提起しなくてはいけない。
康煕字典+流派という考えを必ず確立して判断を下さないといけません。鳴弦、蟇目ゲスト弓道関係の行事でしたが、始めて「鳴弦」「蟇目」を見ました。
そもそもが、日本の弓も矢も、始めて間近で見ました。蟇目の弓などは、騎馬民族、匈奴から伝来したそうですが、修法
に使うのは、日本だけだそうです。鳴弦も同様に、日本だけの修
法で、日本独自の弓だと説明がありました。今でも宮中では、皇太子のご生誕の際には、「鳴弦、読書」の儀
が行われており、「紫式部日記」から文献としては読むことが出
来るそうです。弓を鳴らすことが出来る状態とは、相手に対して攻撃が可能な弓
の状態が整った段階で、それを妖魔に知らしめるものだそうです。
よく響くものです。
また「蟇目」という弓が出す音が、これ程のものだったのかと驚
きました。まさしく「魔除け」だと、感じ入りました。
鳴弦、蟇目ゲストすみません。蟇目は「矢」です。
新刊案内にありましたゲスト「玄空風水暦 その使い方と開運法 2016年版」
玄空学風水研究書 大玄社新しい波ゲストあの高名な○○師や、○老師の講話も聴いたという方ですが、認
定○○師を名乗る方です。陽宅風水は、日照や心理的影響など、検証が可能。
陰宅風水は、儒教、仏教、道教と、複雑に絡み合った民間信仰。
と、言い切っていました。
一人一派とはいえ、思い切ったことを言い切るものです。
鈴木ゲスト静岡から参加の鈴木です。
1797番へ。
陽宅風水ですが、日照や心理的な部分以外でもありますよ。
オール電化+IHは風水を悪くなるのが常識でしょう。
そういう常識を知っているはずの人でも、何故か、風水師の中では、オール電化+IHで活動する人も。
儒教を宗教と考えるのは、神仏で信仰しているわけではないから、名前と発想が混乱するんですよね。
易経でいえば、易経は「お経」ではないのですから、そういう文字の受け入れ文化的な混乱もありますよ。
陰宅風水の場合、儒教・道教では、お墓を作るのは日本はあまり見ないが、神社・仏閣・仏教は深く関係していそう。
私なりの検証可能な例を挙げれば、
1、風水流派の相違点
2、過去の原書の研究
3、日本の社会と風水や風水師
4、社会的認知や受容より、存続や生存をテーマにして風水師等を研究。
これでしょうね。先人の知恵ゲスト中国式の風水と、インド式の風水、二つの話が聞ける先生
のセミナーですが、陰宅風水は取扱注意だそうです。中国民俗の生活慣習による、マイナーな世界観のため、グ
ローバル化した社会では、受け付けないそうです。英語圏で行われた会議だそうですが、風水会議では暗黙の
了解として、敬遠されたそうです。一番の問題は、二度葬、洗骨だそうです。
戦前の事件だそうですが、福建省から来た在日華僑の人が
父親の遺体を自宅の空地に、隠して埋めて保存、風水的な
場所が見つかったらしく、後年に香港から専門の洗骨技術
者を呼んで掘り起し、随分と騒ぎになった事件もあるそう
です。墳墓発掘遺体損壊罪、墳墓発掘遺体遺棄罪という法律があ
るそうです。
それに、洗骨した後の肉片は、廃棄するだけだというのも、
問題が多いようです。江戸時代や明治時代にも、陰宅風水にふれた文献が残って
おり、日本人は家相や都市設計にだけ利用した、先人の知
恵を思うべきだそうです。風水墓相ゲスト最近だと、家相ではなくて、風水墓相をさかんに宣伝している
人がいますね。家を建てる時、「住宅保証制度」という法律があるので、風水
的な吉凶を言うと、保証問題が生まれるので、「墓相」だと保
証は無関係なので、かえって営業しやすいのでしょうか。陰宅ゲスト風水は、陰宅こそが、王道としている所もありま
すが・・・・・・新宿ゲスト紀藤元之助先生の晩年のころ、三~四回お話を聞く機
会があり「占いは日陰のモノだから、表に出るもので
はない」という意味合いのお話を聞きました。時代は変わり、現在はネットや動画など、占い師の方
のお顔を見ることが日常的になりました。二ヶ月ほどの期間でしたが、新宿で寝泊まりすること
になりました。認知症と言われかねない日々で、ボン
ヤリと街を眺めてみたり、徘徊のように歩き回り、時
間を潰すことになりました。新宿は占い師の人が集まる街なのでしょうか。随分と
多くの人を見かけました。それとも移動の通過点なの
でしょうか。
ほとんど毎日、同じ場所ですれ違い、ご自宅、或いは
鑑定所が有るのかと思うこともありました。街占をしていない方が、事務所や鑑定室以外で、過去
に鑑定をした人に会うと、対応に困るような感じがし
ます。台湾占いゲスト新刊案内にありました。
「台湾の姉 玉仙紀が導くあなたの開運」
神杯占い 亀占い 米占い 外
鈴木ゲスト静岡から参加の鈴木です。
1799番~1801番へまとめて。
陰宅風水関係のまとめとして、話されておりますので、その関係に補足する形です。
罪状云々は分かりませんが、統一された、先祖関係、先祖観があるかは分かりません。
墓参りも国家で統一されている訳でもないし、墓参りの文化も統一されていないから、大元から統一されていないものを理解するのは大変です。
宗教のように神様の世界ではなく、先祖を祀る世界ですから、先祖+本人+家なんですから、それが全てバラバラで、難しいことですよ。
運命学は宗教に利用され、宗教の下敷きにされた日本ですから、おかしな頭で考えていると考えられがちですしね。
そうなる事が有り難いという日本の一面も見えてきますが。
大元は陰宅だから、今の多死社会を受け入れ、面積が増えてきた、結果、陰宅風水の利用価値が出てきて、墓相と陰宅風水を一緒に語る人も少なくないでしょう。
細木数子も、亘徳という墓石業者と仲間で儲けた実例がある(溝口敦氏の細木数子-魔女の履歴書から)、これも、徳から得に変わってしまった世界を看ることが出来るので、そこはよく分かります。
山田光復先生も、「墓石業者を敵にしても値切れる」とブログで解説しています。
どうせ、お墓の話をするなら、直系の先祖のお墓の掃除を率先してやる方がいいと思いますね。
19日は、私自身もお墓参り(掃除あり)ですし、20日は沼津市(掃除+草取り)へ奇門遁甲です。
陰宅風水も、解説できれば、私も挑戦してみたいです。日本の墓相ゲスト京都の嵯峨野、あだし野念仏寺の無縁仏の千灯供養を、知
らない人は少ないと思います。
あの無縁仏の石仏、石塔を集め整理した人が、中山(多田)
通幽師で日本の墓相の祖とされる方です。あだし野は平安時代は風葬の地で、弘法大師空海が遺骸を
集めた所と言われ、後に法然上人が念仏道場を開き、念仏
寺になったとされます。中山通幽師は、東洋大学の創始者・井上円了の哲学館で学
び、陰徳積善、功徳になるような善事を行う、「福田海」
という宗教団体活動を続けました。あだし野の整備は、明治三十六年~三十七年の頃とされま
す。中山通幽師は、その福田(功徳となる善事)の信者の
人たちにだけ「墓相」を説き、信者でない人には、「百害
あって一利なし」として「墓相」は話さなかったそうです。松崎整道という人は、仕えていた主人が福田海の信者であ
り、主人につき従う過程で墓相を知り、独自に研究を行っ
たそうです。現在では風水という単語は、いたずらに知れわたり、行き
場をなくしたように思われます。中山通幽師のとられた態
度が、最も大切だと思われます。中山通幽さんゲスト京都には土地柄なのか、墓や墓相の知識を持っている人がいます。
中山通幽さんが指導したというお墓も残っており、随分と趣きの
あるもので、今の墓相とは雰囲気も違います。中山通幽さんの創られた福田海は、現在も岡山県にあり、活動は
続いているそうです。
中山通幽さんの墓相については、直系の信者に繋がる人が瀬戸内
海をはさんだ、四国の地で続けているそうです。商業ベースの活動ではないので、ネットや広告などで見ることは
ないそうですが、地元ではよく知られているそうです。福田海系の墓相ゲスト福田海で修行したという人の、墓相の本が
アマゾンでも売られていますね。四国の人との関連は、分かりませんけど。
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